英語は英語で勉強するな 荒井佐よ子 主婦の友社
よく言われる英語教育に関する疑問に漠然と疑問を感じていたのですが、この本を読んですっきりしました。
例えば、”英語を覚えるのは幼いうちの方がほんとうにいいのだろうか。まだ日本語でものを考えると言うことが確立してない、小学生やそこらで英語を勉強したほうがほんとにいいのだろうか。”と思っていたのですが、幼い子供は、一緒に外国に行けば大人よりも早くその国の言葉を上手な発音で話し出すけど、言葉というものへの理解が浅いので、挨拶とか、自分の欲求を伝えるとか、子供の身の丈の表現にとどまって、日本に帰ってくると忘れてしまったりするといっています。
また通訳とは日本語のバックボーンがなければできない。というのは、かつて某シンポジウムで、日本語が母国語でない人の英→日通訳を聞いたことがあるので、よくよくわかります。英語と日本語が日常生活で支障がない人ではありましたが、英語のまま聞いた方がましな訳でしたから。
いきなり原文で読まないで、日本語訳を読んでから英語を読むと頭に入りやすいというのも納得。意味がわからない英語を垂れ流しても、何十回読んでもちっとも英語頭にならないですものね。ニュースとかは日本語で聞いて知っているものを聞くと、英語がひじょうに良く入ってきます。
ネイティブが話す英語をテープで繰り返し聞いて耳から覚えるのを薦めていますが、そのテープと同じ内容の英文と日本語訳がきちんと書かれたテキストが必要というのも納得。なんだかわからないものを何十回聞いても決してわかるようにならないです。
vOICEで時々リスニング力を高めるにはどうしたらいいかという話題がでて、講師がたくさん聞いて慣れろと言うけど、リスニングには、ネイティブの話すスピードやアクセントやイントネーションに慣れるという面も当然あるけど、知らない言葉は何百回言われようとわからないのだから(多少なら前後から推測できますが)語彙も伸ばさなければならないのを忘れているんじゃないかと思うことがあります。
一番嬉しかったのは「頭の中では、母国語である日本語を使って思考するのは、同時通訳も技術的には同じ。英語が上達すると、思考も英語でできるようになるものなのでは、と思っていた方も多いでしょうが、それはネイティブでない限り難しいこと。けれども、英語で思考できなくても、日本語できちんと言いたいことを頭の中でまとめ、それを英語に訳せれば十分に会話はできます。」少なくとも私は自分と同じくらいの語彙と話すスピードの人が、「英語で考えてる」というのは信じられなかったし、これからも私は日本語でしか考えないだろうと確信があるのですが、同時通訳の方がそういうのですから、自信をもちました。
英語の語源のはなし 佐久間治 研究社出版
Guy Fawkesのお祭りの話はVOICEで話を聞いたことがあるのですが、「奴」を意味する単語guyは彼からとったのですね。検疫(quarantine)はもともとは外国船の検疫停船期間が40日だったから40日を意味するイタリア語に由来するのか。Good-byeってGod
be with youの意味だったのね。などなど楽しく読めました。直ぐ忘れそうだけど。
読んで身につけた40歳からの英語独学法 笹野洋子 講談社+α文庫
著者のお薦めは、NHK英語番組(聞き流すのではなく聞き取れないところをテキストで確認しならが何度も聞く)とたくさん英語を読むこと。テキストの音読50回は、ラジオ英会話のテキストの中にも書いてあったと思います。もっとも私はできてないですが・・・音読50回ってかなり時間がかかるのよね。ただたしかに単語やあるフレーズだけ覚えるよりもずっと自然に表現が使えるようになります。
翻訳学校へ行った意義は翻訳のノウハウを習うことではなく、とにかく誰かに見せるつもりでたくさん訳し、文章を練りに練ることが結局はいい勉強になるというのは、かつて翻訳を少し囓ったことがある私も同感。要は英会話学校もそうですが、そこで提供してくれるのはあくまで勉強するチャンスだけ。生かすか殺すかはその人次第ということでしょうね。私は翻訳家にはならなかったけど、翻訳の勉強をしたのは文章を書く上で役にたっていると思います。英会話をする上でも英語と日本語の発想の違いのようなものは、多少役に立ったと思うし。
話せるだけが英語じゃない 小川芳男 サイマル出版会
NOVAは会話学校だから特に感じるのだけど、英語はしゃべれなければ意味がない、日本の学校教育の英語は何年やってもしゃべれないから意味がないという人に数多く出会ったけど、ほんとうにそうだろうか。
日本人が英語をしゃべれないのは、一番の原因は日本語と英語(他の言語もだが)が似ていないことと、英語をしゃべる必要がないからではないだろうか。シンガポールやフィリピンではほとんどの人が英語をしゃべった。しかしシンガポールはイギリスの植民地だったし、フィリピンはアメリカの植民地だったのだ。太平洋の島々もほとんどの人がバイリンガルだが、大部分の国はアメリカやイギリスの植民地だったり、信託統治領や自治領だったりした歴史がある。またパプアニューギニアなどではたくさんの部族があって言葉が異なるために共通語としてピジン語または英語を使う必要がある。つまり大部分の国々では現在でも日常的に英語をしゃべっているのだ。日本でもこれからは国際化の世の中、英語をしゃべれる必要があるというが果たしてそうだろうか。英語を習いに来ている人は、英語力を生かして転職する夢を持っていたり、あるいは実際に職場で英語を使う必要がある人が多い。決して平均的日本人ではない。それに英語がちょっと話せる人は世の中には山ほどいるのだ。ちょっとだけ英語ができるようになっても他の仕事ができなければ、あまり就職の役には立たない。長い間英語学校にいるために転職の夢やぶれた人、思うような職がなくて転々と転職する人を見てきた。また英語を勉強すると視野が広がるかというと、一般的には知らないよりも知っているほうがいいには違いないけれど、西洋文明賛歌一辺倒で、他の国から働きに来た外国の方については「危険だ」などと平然と言う人もいると、中途半端に西洋かぶれする弊害を感じる。
言葉というのはもともと音声によるコミュニケーションがまず最初であり、基本であるのはわかる。世界には文字を持たずに音声のみの言語もある。しかし外国の文献が比較的楽に手に入り、インターネット全盛の世の中、外国語ができることによって、情報をより広く手に入れて有効に使いたければ、まずリーディングに力をいれるべきではないだろうか。そして自分から情報を発信したければ、ライティングに力をいれるべきではないだろうか。日本の学校教育では英語の読み書きはできるけど・・・とよく言われるけど、ほんとうにできるだろうか。センテンスをつくるのはやらされたけど、どのくらい意味のあるエッセイを書いた経験が中高の教育であるだろうか。センテンスを作るのは文章を書くための入り口にすぎない。いざ意味のある論理の展開のある文章を書こうとすると七転八倒をするのが現状だ。また大学や大学院を終了したいわゆる高等教育を受けた方々をまとめて翻訳のまとめをした経験からすると、論文から必要な情報を読み取る訓練はそれなりにできているが、通常の長文を読みとる能力はあまりにもお粗末である。二重否定などあったらほとんど全滅である。妙な訳注を付ける前に自分の読みとり方が間違っていないかどうかよく考えてくれという訳文に何度となくあった。
また学校教育に長らく携わった側から見ると、中学高校に英会話学校の機能を求めるのは無理だし間違いだと思う。中学高校の授業でやるのはあくまで外国語を身につけるための基本でしかない。その中で、英語が実際にしゃべれるようになりたいと思ったものは、会話を練習すればいいのだ。逆に言うと本当にしゃべれるようになりたいと思ったら、基礎ができていればあとは練習すればできるはずだ。あくまで基礎ができていればであるが。中学高校でやる基本的な文法に基づいた文が作れなくては、会話でもしゃべれないのは当たり前。