私と英語学習
「英語はこれからの社会では重要だから」
長年英語の学校に行っている中で何度聞いたことだろう。高校での私の生徒からも、この言葉を何度も聞いた。あるいは新聞を開けば、使える英語教育をとか、幼児や小学校からの英語教育の話題が花盛りだ。
そのたびに、あまのじゃくなわたしは「日本に住んでいるのに、英語ってそんなに重要かなあ」と心の中で思ってしまう。もちろん通訳になりたいとか翻訳家になりたいというのなら重要だけど、そうではない大部分の人にとって、英語って何の使い道があるだろうか。たとえば私は理科の高校教師である。もしも仕事上で他の言語が喋れると役に立つとするのなら、中国語だろう。時々中国から来た生徒や、帰国した生徒がいるので。英語っていったい何の役に立つだろう。英語圏からの留学生を受け入れていた学校に勤めていたこともあるけど、彼らは日本語を学びたいんだから、英語で授業してもしょうがないし。
ほとんどの日本人にとっては、英語ってまったく使い道がないのではないだろうか。たまの海外旅行なら、学校英語くずれで十分通じる。実際、英語学習を始める前に、私はアメリカで自力で個人旅行して車を借りたりモーテルに泊まったりしていた。英語がちょっと喋れる人って山ほどいるから、多少英語ができるくらいで就職のチャンスが増えるわけでもないし。(少なくともある程度の年齢になったら)
それと、英語が大切という言い方をしたときに、その人が頭に描いているのは会話がぺらぺらである状況であることが多いけど、会話ってそんなに大切かなあ。インターネットが普及した現在、得られる情報が広がるという点では、大切なのは英語が読めるということではないだろうか。
もちろん、今現在私は英語を発信したいと思って学習中である。でもそれは、ナチュラリストとして、日本のある動物について世界に向けて発信したいからだ。もしそうでなければ、これほどまでの時間と努力を注いで英語を勉強しようなどとは思わなかった。
ということで、どうしても英語で伝えたいということがないときに、英語を勉強する必要があるのかなあ。
というのは、私自身も、数十年前に「もし英語ができたら」となんとなくあこがれて、英会話教室に短期間だけ通ったことが過去二回あるのだが、どちらも数ヶ月で挫折したからだ。
今回英語の勉強がこれだけの年月続けることができ、ある程度のレベルに達したのは、何度もこのwebの中で言っているように、私の対象としているのは、日本でほとんど専門家もファンもいない生物で、海外の人と交流しなければ、同好の士に会えない。日本からこの動物の状況について発信すると、興味を持ってくれる人がいる、資料はほとんどが英語という状況だったからだ。
つまり英語を使う必然性が見つからないならば、ある程度やってスランプになったら嫌気がさしたり、飽きるのは当然だし、逆にどうしても英語を使いこなしたいという必然性が感じられるようになったら、誰でも時間をかけて努力をするし、それなりに上達するものでは?